男も育児休職/7.仕事をしたくなる

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学会に出かける

春は学会のシーズンだ。成果を学会で発表することは研究者にとって存在意義にかかわる重要事である。どうしても代理発表ができない講演依頼が休職中に二件あった。上司は、休職中でも学会発表ぐらいかまわないと判断した。みんなが冗談で言う。「子供をおんぶして登壇すると目立つぞぉ。しばらくの間、学会で語り草になるな」。私はそこまで非常識ではないが、子供はどうすればいいのだろう。

一つめの講演依頼は大阪からだった。これは、ちょうどいい。私の実家は大阪だから里帰りのいいチャンスだ。おばあちゃん、おじいちゃんがめんどうをみてくれるだろう。週末、妻も含めて私たち親子三人は新幹線に乗って大阪に向かった。

赤ん坊はおじいちゃんと初対面だが、実に機嫌よく愛想をふりまいている。よしよし、これならだいじょうぶ。のんびりとした週末をすごした後、妻は仕事で先に川崎の家に帰り、私は赤ん坊を預けて学会に出かけた。もちろん、おばあちゃんにはメモが渡されている。授乳は何時か、赤ちゃん体操と日光浴の手順、泣き止まないときの対処、昼寝の時間帯などである。おじいちゃんも孫を散歩に連れていこうと手ぐすね引いて待ちかまえている。

会場に向かう地下鉄の中で急に不安になった。もう、数週間も会社の人間と会っていないし、仕事の話をしていない。一日に使う言葉の大半は子供に話しかけている言葉である。「あれ、ゆみちゃん、どうしたのかな」、「イナイ、イナイ、バア」、「おなかが、すいたのかな」、「ワンワンが、あるいてるね」などの類である。大勢の人間を前にして、私はまともな仕事言葉をしゃべれるのだろうか。

働く母親が育児休職明けに、この問題をかかえるという。休職前にはキリリッとしたキャリア・ウーマンだった人が机の上の書類を片づけながら「はい、ナイナイしましょうね」などという対子供言葉を、ふと口にしてしまいそうになるのだそうだ。確かに子供の相手するときの言葉と、会社での仕事言葉とにはたいへんなギャップがある。同じ日本語でも、それは全然別の言葉のように思える。

杞憂だった。会場に着いた。しゃべり始めて五分後には私の頭の中には育児のイの字もなかった。会社で働いていたころのアタマに完全に切り替わっていた。そして一時間後、私は帰りの地下鉄の中でサラリーマンから専業主夫に再びアタマを切り替えていた。家に帰った。赤ん坊が上機嫌で私を迎えてくれた。

数日後、私は赤ん坊を連れて新幹線に乗りこんだ。妻は先に帰っているので私一人で新大阪から新横浜まで赤ん坊のめんどうをみなければならない。新幹線は混み合っていた。余分な座席はなく、私は横の人に気兼ねしながら赤ん坊を抱いて座っていた。座っていただけではない。膝の上で赤ん坊をあやし、しゃべりかけ、寝かしつけ、起きたところでポットから湯を出し、携帯用粉ミルクを使って哺乳瓶にミルクを調合し、飲ませて、げっぷをさせた。隣の乗客はそんな私を驚異の目で見ていた。静岡を過ぎた。そろそろ、おしめの時間だ。空いている席があれば、そこでおしめを替えるのだが、そんな席はない。どうすればいいのだろうか。考えたすえに洗面所に行き、私の筆の力では記述不可能なアクロバット的な努力によりおしめ交換をやり遂げた。

帰ってから、この話を妻にすると妻はあっさりと言った。
「あら、車掌さんに頼めば車掌室を使わせてくれるって知らなかった?」
そう、私は知らなかったのである。

二件目の学会は千葉だった。これは妻の妹に頼むことにした。車で赤ん坊を連れていくと二歳半になる甥っ子が出迎えてくれた。授乳時間や昼寝の時間帯を伝えて電車に乗る。川崎の小田急線・登戸駅から都心を横断して千葉県の東武野田線にある会場まで二時間以上かかってたどりつき、三十分しゃべって、二時間以上かけて登戸駅に戻ってくる。仕事の効率としてはひどく悪いような気がするが、まっ、いいか。

妻の妹の家に赤ん坊を迎えに行くと、甥っ子の砂場友達が数人、母親に連れられて遊びに来ていた。近所の公園で知り合った仲間だ。私が、ついに入りこめなかった砂場コミュニケーションである。みんな、楽しそうだ。二、三歳児が部屋の中でところ狭しと遊んでいる。ゼロ歳児のわが娘はその渦中にあって、おもちゃをしゃぶりながら一人で遊んでいた。そして声をかけると私を見上げてにっこり笑ってくれたのだった。


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