男も育児休職/7.仕事をしたくなる

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部下に会う

育児休職中、会社に行くことは先にも述べた通り禁じられていたことである。しかし今だから白状するが私は二回だけ、この禁を破った。両方とも言い抜けできるようになっているが、実は私は会社(の近く)に二回ほど行っているのだ。

一回目は、「たまたま」私が会社の近くを車で通りかかったところ、「たまたま」部下のN君が門を出てきたので、近くの喫茶店で仕事の近況を聞いたのである。この「たまたま」というところが、この話のミソで、実のところ突っこんでほしくないポイントなのだが、公式見解としては私とN君が会ったのはあくまで偶然のなせる業なのである。会社の門の横にある公衆電話が果たした役割については「記憶にありません」と答えるほかはない。はたまた川崎市麻生区在住の私が川崎市宮前区の私の職場近くをなぜ通ったかについても私は言葉を濁すしかないのだけれども。

とにかく私とN君は三月の、とある平日に会社近くの喫茶店で会った。赤ん坊は車の中で眠っていたのでかごごと店内に持って入った。店の人は少しびっくりしたようだが、私は赤ん坊を横においてN君と会話を始めた。彼は近々、海外出張が予定されている。出張の準備はできたか、そのほかの仕事の進み具合はどうだ、ほかの部員の仕事の進み具合はどうだ、などと質問をしていくと、赤ん坊が目を覚ました。

仕方がない。私は赤ん坊を膝の上に抱き上げ、あやしながら会話を進めようとしたが、N君の興味が赤ん坊に移ってしまった。赤ん坊のほうはN君を下から上まで舐めるように見つめ、一言「あー」と発話した。結婚はしているが、まだ子供のいないN君は、この一言で赤ん坊におおいに興味をもったようだ。赤ん坊に話しかけ、あやしながら私に「育児はたいへんですか」などと質問してきた。話相手に飢えていた私は最近の生活についてしゃべり始めた。

数日後、N君からベビー服が届いた。急にどうしたというのだろう。メッセージカードが付いていた。「子供を抱いてあやしている太田さんの姿を見たとたん、急に『太田さんも親になったんだ』と感心しました。たいへんでしょうけど頑張ってください」。妙な姿を部下に見せてしまったものだ。


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