男も育児休職/7.仕事をしたくなる

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花見に出かける

桜がここかしこでほころび始めた。世間では花見のシーズンが始まった。私は家で夕食の準備をしていた。電話だ。妻からで、今晩は遅くなりそうだとのことである。そうか遅くなるのか。では何をしていようか。私は家にこもっていることに退屈していた。それで、花見に行きたくなった。

毎年、この季節になると会社の敷地で会社主催の花見が開かれることになっている。朝、気になって電子メールで同僚に確認すると、雨が降らなければ今日だと言う。思い立ったが吉日である。赤ん坊を車に乗せると、私はハンドルを握って会社へドライブを始めた。

先にも述べたとおり、休職中、会社の構内に入ることは固く禁止されていたことだった。かまうものか、と花見に燃える私は考えていた。花見は終業時間後のイベントであって仕事ではない。私は、「たまたま」会社の近くを通りかかり、「ちょっと」顔を出すだけのことである。数週間前、「たまたま」会社の近くを通りかかって部下との接近遭遇に成功した私は、都合よく規則の拡大解釈を始めた。何とでもなるさ、久々の外出で私はウキウキしながら車を走らせた。

会社の裏の敷地には桜の大木が並んでおり、花が咲くころ、すばらしい眺めを提供する。そこで毎年ころあいを見計らって会社は花見大会を主催し、食堂が焼鳥や焼ソバ、ビールなどの屋台を桜の木の下に出して臨時営業する。ゴザが貸し出されて、就業後にみんなは思い思いに花見をして、かつ食らいかつ飲むということになる。桜の樹には提灯が吊るされ、周りには紅白の幕が張りめぐらされ、はなやいだ雰囲気が演出される。

みんながにぎやかに酒を飲んでいるところに、私は子供を抱きかかえて侵入した。研究所の幹部が酒を酌み交わしているところに出くわしたが、気づかれないように足早に通り過ぎた。幹部の筆頭であるK常務取締役が、まだそんなに高い役職についていなかったころ、新入社員の私は麻雀の相手を仰せつかったことがある。たまたま、そのとき私はK常務から勝ってしまい、以来顔を見せるたびに私はこのときの勝負の一件でいびられるのが定例になっていたからだ。育児休職だなんて勝手なことをやって花見に出てきたと知られたら何を言われることやら。

あちこちのグループから目ざといのが私を見つけ、声をかけてきた。新聞を読んだぞ、テレビで見たぞ、など。私はあちこちのゴザに邪魔してはみんなと久しぶりの会話を楽しんだ。私の部署で仕事をしているデンマーク人のJさんやインド人のDさんもいた。必死でカタカナ英語で防戦しながらの会話が始まる(以下の会話はもちろん翻訳されています)。
「あー、久しぶりだね。それが君のベービーか、君に似ているね」
「おーっ、オオタさん。新聞で有名になりましたね。私は読めないけどお茶飲み場に記事が張ってありましたよ」
などと彼らが話していると、同席していた私と面識のない外国人社員がいったいそれは何の話だと聞いてきた。

「おや、知らないのか。彼は日本で初めて育児休職してとっても有名になったんだ」
「育児休職? そんなものめずらしくはないぜ」
「いや、日本ではめずらしいんだよ」

女性たちがかわるがわる赤ん坊を抱かせてほしいとやってきては、おそるるおそる赤ん坊を抱き上げて、「わあかわいい」などとやっている。私は彼女たちに、自分で作れば子供をかわいがるのには不自由しないぞ、と助言する。私と妻の共通の友人は赤ん坊の顔が私に似ていることを指摘し、だから性格は妻に似るだろうという根拠不明の推論を行い、将来がたいへんだなあ、と勝手に同情を始めた。部長は、論文の執筆は進んでいるかと聞いた。若い同僚で、太田さん有名になれていいよなあ、一発当てたよなあ、などと無責任なことを言っているのがいたので、シングル・ファーザーになって育児休職を取れば私を上回る話題になると助言する。JさんやDさんは赤ん坊にもビールを飲ませてはどうだろうかと私にさかんに勧めてくる。飲みたそうな顔をしているというのである(嘘をつけ)。車で来ている私は飲むわけにいかなかったが、私は花見の雰囲気を満喫していた。見上げれば暗闇の中、淡いピンクの桜の花が提灯の明りに浮き上がっていた。すべてが陽気ですべてが楽しかった。私の膝の上に戻ってきたわが娘も私の顔を見上げて「アグパー」と満足げな声をあげたのだった。


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