男も育児休職/8.会社へ復帰する

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三歳未満保育園有害説を考える

三歳になるまで子供を預けて働くのはよくない、という説はけっこう根強いみたいだ。アグネス・チャンさんが子連れで仕事をすることにこだわったのは、この「三歳まで」説を信じていたかららしい。彼女は子供が三歳になった時点で、仕事場には子供を連れてこなくなるのである。そして、この「三歳まで」説の出所は『新ホワイト博士の育児書』(バートン・L・ホワイト著)にあるらしい。この説に従えば、ゼロ歳児を保育園に預けて働きに出るなど、もっての外ということになる。もっての外の所行に及ぼうとしていた私は、とりあえず、これを読んでみることにした。

予想に反しておもしろい本だ。この本ではピアジェ流の発達心理学の解説にそって育児論が展開されている。赤ん坊が、どういう時期にどういう反応を示すのか、いろいろなデータを駆使しながら分かりやすく解説されている。自分の子供と照らし合わせて読んでいてもうなずける点が多々ある。確かに六カ月ごろから赤ん坊は小さいものに興味を示すようになり、机の上のパン屑を一生懸命つかもうと努力する。書いてあるとおりなのである。まあ、この本は「いかに子供を発達させるか」というポイントに重点が置かれ、発達至上主義のきらいがないわけではないが(この人は、なんらかの理由で「正常に」発達しなかった子供については何も言わない人なのである)、私の好奇心をかなり刺激してくれる。そして私の妻も、この本の愛読者になったことは言っておこう。

さて、問題の場所はこうである。

「三歳以下の子供の全時間保育は、特に二、三カ月の子供にとって、その子供のために最上のこととは思えない」

「生後三年間は……代理保育ではなく両親または近親者によって世話される子供の大部分は、人生のよいスタートを切ることになる」(以上前掲書370ページ「代理保育」より引用)

理由は、親でなければ子供に必要な、子供の発達にとって望ましいケアが保証されないからだと言う。

当然、反論がある。イスラエルのキブツでは集団保育が当然のように行われているではないか。イギリスの伝統的な育て方では乳母による保育が行われてきたではないか。両者とも不都合はなかったぞ。これに対してホワイト博士は、こう答える。イギリスやイスラエルの場合、代理保育者はたいへんな注意を払われて訓練されており、保育の質もたいへん高い。「これとは反対にアメリカで」は保育の質は保証できない。代理保育者の「時間給の平均は4ドル強」で、これでは「専門家による保育が保証されているとは、とても考えられない」

ここまで読んで私はようやく合点がいった。要は「三歳まで」説はアメリカの国内問題をベースにした説なのである。ホワイト博士は時間給四ドル強の労働者に赤ん坊の保育を任せることに強い不信感を表明しているわけだ。そしてホワイト博士が、そこから公共の保育設備の充実と保育専門家の養成の必要性を論ぜず、親による保育だけを強調するのはなぜか、それはいま一つ不明瞭だがアメリカの国内事情がそこにあることは確かなようである。つまり、親の愛情と責任を強調することが今のアメリカ社会(とくに中流階級以上)での急務であるとホワイト博士は考えているらしい。

ときどき赤ん坊の死亡事故を起こすようなベビーホテルは論外としても、日本ではアメリカとは異なり、公共の保育園が存在するし、専門の教育を受けた保母さんたちが保育を担当している。ホワイト博士の「三歳まで」説をそのまま日本に持ちこむのはあまりに粗雑と言うものだろう。もちろん、保育園で育ててもらいながら親が果たすべき役割は考える必要はある。保育園に預けさえすれば親は免責されるわけではないのだ。そして、それは当事者の住んでいる社会の中に根差した議論でなければならないことは言うまでもない。


〔参考文献〕

バートン・L・ホワイト『新ホワイト博士の育児書』くもん出版


〔Web版注〕

その後、インターネット上で知り合った色々な人たちから、私が書いた話は「三歳児神話」と言われるものだと教えてもらいました。だいたい、日本では1960年代から流布され、団塊世代の専業主婦化に大きく貢献したようです。(日本でもっとも専業主婦化が進んだ年代層は団塊世代です。)

三歳児神話に関してはパソコン通信上でも度々議論されており、それを踏まえて古川玲子さんという方がFAQ (Frequently Asked Question: よく繰り返される質問と回答集)化しました。http://www.eqg.org/lecture/faq.html で「三歳児神話をぶっとばせ」と題して公開されています。

ここで、古川さんの書いていることを受け売りすれば、三歳児神話の理論的根拠は、大雑把に言って、スピッツの「ホスピタリズム」、ボウルビィの「母性喪失」にあるとされています。(私が引いたホワイト博士も「ホスピタリズム」を使っていました。)

1945年に発表されたスピッツの「ホスピタリズム(施設症)」は乳児院、孤児院、小児科病棟に長期収容されている子供たちの心身発達障害を扱ったものです。現在、こうした施設では一人の保育者に対する子供の数を制限したり、子供と保育者の触れ合いを重視することでホスピタリズムの発生を防ぐ措置がなされ、実際に戦争期に研究したスピッツの時代より環境は遥かに改善しているという指摘をまずしておきます。さらに、そうした家庭から離れて長期収容されている子供とは異なる、家庭から通園している保育園児にまでホスピタリズムが発生するかのような言い方は乱暴すぎるということを指摘しなくてはなりません。

ボウルビィの「母性喪失」も戦争直後の研究です。1948年から二年程、戦争の影響で両親と離れ離れになった子供たちにもホスピタリズムと同じ症状が見られるとした上で、それがその子どもの全人生に影響すると断じました。しかし、ボウルビィはその後、1956年に誇張が過ぎたことを認めて自説を撤回しています。また、戦争期のこうした研究を、親元から保育園に通っている子供に当てはめようとするのが無茶なのも明らかです。

こうしてみると、保育園に子供を預けて働こうとする親を脅かしてきた三歳児神話がかなり強引な論法に支えられたものに見えて来ます。


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