県立新潟女子短期大学・生活科学科生活科学専攻 本間善夫
この文章は,中学1年生がある先生に『分子にも形はあるのか,またそれぞれの大きさは異なるのですか』と質問してくれたのをきっかけに書くことになりました。
科学の発達のおかげで私たちは物質が分子でできていることを知っています。分子も“もの”である以上,大きさや形があっていいはずですよね。でも“もの”である分子はどうして目に見えないのでしょう。見えれば形も大きさも簡単に知ることができるはずです。
その一方,分子がもし目に見えたらかえって大変かも知れません。空気中を飛び回る気体分子が見えたり,様々な物質が分子(あるいはそれを構成する原子)の集合した変な固まりに見えたりして,何が何だかわからなくなるかも知れません。つまり,視覚は実はある程度の大きさ以上のものを見て情報を判断する感覚であると考えればいいのでしょう。これは詳しく言えば,視覚が感じることのできる光の波長(可視光線と言います)と物質の大きさとの関係の話にもなるのですが,少し話が難しくなるのでここではそれ以上の話はやめておきます。
目に見えないのは分子だけではなく,それよりある程度大きなものも目に見えません。空気中にはチリやホコリ,それにウイルスなどもたくさん漂っているのに目には見えないのです。例えば顕微鏡が発明されるまで微生物の存在が知られていなかったのは有名な話です。ウイルスの発見まではさらに長い時間が必要でした。そんな中で様々な実験から分子の存在が予測・確信されてその構造が詳しく論じられるようになり,現在では電子顕微鏡で実際にその形を確認できるようになったのですから,化学の発達はすばらしいものです。
表1にいろいろなものの大きさ比べを示しました。一目盛り上にあがると10倍大きくなるように目盛ってありますが,物質の世界は一ケタ(位)違えばまったく異なった世界になることにまず注意する必要があります。例えば人の身長は1mのケタに入りますが,10mのケタになったらウルトラマンの世界です。この表の範囲すべてが見えたら情報量が多すぎて容量の限られた脳では処理できませんし,無駄も多いでしょう。
なお,表の中に示したコロイド分散系というのは,ある物質の中に別の物質が表のような大きさの粒子が不規則に散らばっている状態を言い(例えば霧やタバコの煙,セッケン溶液や牛乳を薄めた液など),そのような状態になっているところに光をあてると,光の通る道筋を見ることができます(レーザーポインタを用いるとよい;目に当てないように十分注意して)。これはコロイド粒子によって光が散乱されるために起こるチンダル現象とよばれ,粒子の存在を間接的に見ていることになると言えるでしょう。
【Web転載版の補足】大きさくらべの資料例“powers of ten”関連など
Powers of 10.com
Powers of Ten
Astronomy Picture of the Day
The Scale of the Universe 2 [NEW!]
A Question of Scale | Table of Images | Logarithmic Scales
Nikon | ユニバースケール
素粒子事典(高エネルギー加速器研究機構)
さて,分子の大きさはそのコロイドより小さく,だいたい1nm(ナノメートルと読み,1nmは10億分の1m)前後のケタの世界です。そのことをいくつかの物質について分子モデルで示したのが図1です。水がH2Oであることは習っていると思いますが,酢酸は酢の酸っぱさの原因成分,ショ糖はサトウキビなどに含まれている甘味物質の代表例です。六角形のベンゼンは溶剤や工業原料などに使われるもので,独特のにおいがして発ガン性があることが知られています。ベンゼンの向かい合った2つの水素を塩素に置き換えるとパラジクロロベンゼンとなり,やはり独特のにおいを有し衣類の防虫剤に使われます。
図1 分子の形と大きさくらべ(ポリエチレンは高分子の例で,実際の高分子はnが数百〜数万以上であり,とても大きなものである) 【Web転載版の補足】分子表示プラグインによる“分子の形と大きさくらべ”
ポリエチレンはポリバケツやコンビニで品物を入れてくれる袋などに使われており,プラスチックの代表例です。ポリエチレンのように簡単な分子が数百・数千,時には数万以上つながってできているものを高分子といいますが,図から考えて高分子は通常の分子に比べてとてつもなく長大な分子になることがわかるでしょう。
化学辞典(森北出版)には水分子H2Oの大きさと形は,2本の酸素と水素の長さが0.09572nm,水素-酸素-水素のなす角が104.52°と出ています。目に見えない分子の形と大きさがこのように厳密に求められているのは,繰り返しになりますがとても驚くべきことです。そしてこれは身近な雪の結晶の形など,人間の目に見えることとちゃんと対応しているのです。
図2には食塩(塩化ナトリウム)の結晶構造とショ糖分子を別のソフトウェアで描きました。スケールは同じになっています。塩化ナトリウムはNaClと書きますが分子ではなく,ナトリウムと塩素が規則的に並んで結晶構造を作っています。食塩の結晶を虫メガネで見ると立方体や直方体になっているのがわかりますが,これは図のような構造が大きくなってでき上がっているからです。ショ糖の結晶の方は不規則な形をしています。
図2 食塩(塩化ナトリウム)の結晶構造(左)とショ糖分子(右).スケールは同じ.
以上見てきたように,分子の世界はとても小さな世界ですが,その詳細な姿と性質がかなりわかってきているだけでなく,21世紀は1nmの世界を自由に操作できるナノテクノロジーの時代とも言われているのです。
分子のナノワールドを覗き込む手段はいくつかありますが,歴史的に見ても重要なのがX線(レントゲン検診でも使いますね)を分子の結晶に当てて観察する方法です。これは分子そのものを見るのではなく,影のようなものを見て計算によって実際の形を求めるものです。前回出てきた食塩の構造などもこの方法で求められました。図3に示した遺伝子の本体であるDNAという複雑な高分子の“二重らせん”と呼ばれる構造も同じような方法で求められ,遺伝の秘密が解き明かされたのです。この研究をしたワトソンとクリックはノーベル賞を受賞しています。なお,ポリエチレンやDNAは高分子であると書きましたが,他にもタンパク質などが高分子に入ります。
図3 遺伝子の本体DNA(デオキシリボ核酸)の部分構造例。構成元素は,水素,炭素,酸素,窒素,リン。図を見やすくするために水素原子は省略している。
中・高校生には難しいですが,興味のある方はX線についての解説1)やその他の分子の形を知る方法の解説2)を先生から借りて読んで見るのもいいでしょう。
さて,前回の図2に出てくる食塩は規則的な構造をしているのに,図1や図3の分子はどうして複雑な形をしているのでしょう。実はそれらの中にもちゃんと約束があるのです。
出てきた分子の図の中で,食塩と水以外は炭素を骨格としており,有機化合物と呼ばれています。その有機化合物の中でもよく出てくる炭素・窒素・酸素について,子どものブロック玩具と同じように分子を組み立てる部品とみなして図に示してみたのが図4です。ただし,これはそれぞれの代表例で時として違う形の部品になる場合もありますが(図1のベンゼンや図3のDNAなど),ここでは省略します。また,水素は結合する手が1本だけになっています。
図4 分子の部品例。上段は左から炭素(正四面体構造),窒素(三脚型),酸素(くの字型)。下段は結合の手にすべて水素がついた場合で,左からメタン,アンモニア,水。 【Web転載版の補足】分子表示プラグインによる“分子の部品”
例えば図2のショ糖はこの炭素と酸素と水素ででき上がっているのがわかるでしょうか。このような単純なルールによって無数の有機化合物が生命体によって作り出され,それぞれの独特な形が分子の個性的な性質と役割を決めているのです。さらに人間は化学の発達で様々な分子を作り出して利用してきており,さらに近年は今までに知りえた莫大な数の分子の形と性質の関係から,新しい分子をコンピュータで設計してその性質を予測することも可能になってきています。
その分子の形と性質の関係のわかりやすい例が,図4の炭素が多い場合は水に溶けにくく,窒素や酸素が多い場合は水に溶けやすいというものです。ショ糖では,分子の中心部は炭素が多いですが,周辺部は酸素と水素でできている水分子に似た部品(水酸基といいます)で囲まれているために水に溶けるのです。その一方炭素と水素だけのベンゼンは水に溶けませんし,ポリエチレンは水を吸収しません。その分子が水に溶けやすいか溶けにくいかは重要な分子情報の一つになっています。
分子を組み立てて形や性質を計算してくれる教育用の比較的安価なソフトや無料ソフトも登場してきています。また,インターネット上でもたくさんの分子(DNAやタンパク質なども含めて)を画面上で自由に動かしたり原子と原子の距離を表示させたりできるデータベースや教材のページもたくさんあります。
筆者もそのようなページを開設しているほか3),たくさんの分子データと表示用のソフトを収録したCD-ROMを付録にした「パソコンで見る動く分子事典」4)という本を出版しています。身近な分子の解説と,多数の分子データを合わせ見ながら,分子の形の秘密を知ってもらえれば有り難いと思っています。様々な分子を見てその見方を会得し,是非分子と仲良くなってください。
図5 おもしろい形の分子例;炭素だけでできているサッカーボール分子(フラーレン,C60)。このフラーレンを発見した研究者3名もノーベル賞を受賞しています。 ※この図は「理科教室」には掲載しませんでした。