ecosci.jp 本間 善夫
1.はじめに
ナノテクノロジーに象徴されるように,化学の世界の精密化が話題になる一方,理科離れが深刻な問題とされている。言い換えれば,化学の専門家以外にとっては目に見えずイメージしにくい分子が,科学技術の世界ではもはや可視化され自在に操れるようになりつつあるというギャップが広がりつつあるということかも知れない。
そのような中で,コンピュータのハード・ソフトの進展により,ディスプレイ上で分子を表示してインタラクティブに動かしたり様々な分子情報を描かせたりすることが可能になり,さらにインターネット上の情報量が急激に増加して多くのデータベースや教材によって複雑な分子についても可視化して参照できる環境が整いつつあり,化学教育の分野でもその活用が進みつつある1)。
ディスプレイ上で分子を閲覧する上で,MDL社の分子表示プラグインChemscape Chimeの果たしている役割は極めて大きく,まさに世界標準ツールの一つとなっている。Chimeの豊富な機能により,データベース2)や化学教材3)のコンテンツが工夫を凝らされて呈示され,専門家でなくても分子について楽しく学べるようになったことは大きな意義がある4)。そこにおいて,HTMLの埋め込みタグでChime scriptやRasMol script5)を活用してページ作者の意のままに分子を表示でき,また他のサイトのHTMLを参考に自分なりのアレンジができることは,Webを"学びの場"や"知の共有の場"と考える上でも有用なことと言えよう。
演者は1996年8月にChimeを利用したWebコンテンツ作成を始めてその後も様々な試みを重ね6),1999年にはそれらを収録したCD-ROMを付した書籍も上梓することができた7)。ここでは,自作コンテンツの特徴のいくつかを紹介し,分子に親しみを持ってもらうための模索について紹介したい。なお,取り上げるコンテンツを含めた総メニューは『分子の形と性質学習帳』8,9)として公開している。
2.多様な分子の多彩な姿
2.1. 分子の形の秘密
中学・高校の化学の入り口で分子について学ぶときに,H2OやCO2などの分子式は暗記の対象でしかなく,なぜそのように考えなければならないかについては教えてもらえないのが通常である。同じ3原子分子が一方は折れ曲がり構造,もう一方は直線構造という化学的には高度な情報もその意味がわからなければ暗記の労力が増えるだけとも言える。
ところがChimeの静電ポテンシャル表示を用いれば,その違いは一目瞭然となり(図1),初学者でも分子の形の重要性が端的に理解できる。CH4の正四面体構造やH2Oの折れ曲がり構造で代表され,群論で詳述される分子の対称性の意味と,それらのブロック(部品)の集まりである分子の性質との関係を視覚的に学べることは極めて有用なことである。
図1 Chimeによる水と二酸化炭素の静電ポテンシャル表示.script利用でボタンクリックによる表示変更も可能.
2.2. 分子事典と分子データ集
簡単な分子の見方が理解できればあとは数多くの分子モデルを見て,その分子との関係を学べばよい。その目的で作成したのが薬物・香り・農薬など用途ごとにまとめたミニ分子事典や分子データ集10)である。後者については分子データとHTMLリストをまとめて圧縮し,ダウンロードによってオフラインでも利用できるようにしている。個々の分子の特性等については,Web上の多様なサーチエンジンとデータベースを用いれば容易に入手できるであろう。
"分子と分子の相互作用"を理解する上で薬物や香り分子は研究上ばかりでなく教育用としても興味深い題材であり,利用者自身がレセプターとの関係を,例えばPDBデータベース2)の情報検索で調べることなども可能であろう。
また近年化学物質が人間や野生生物に及ぼす影響が問題視されるようになり11),環境ホルモン(内分泌撹乱化学物質)についても調査・研究が進められているが,そこで取り上げられている分子について網羅的に参照し,計算化学等の手法で求められる各化合物の諸データとの比較検討も容易になっている12)。
図2 分子データ集英語版の画面例.フレーム版ではボタンクリックで分子情報表示を簡単に表示・変更できるようにしている.
2.3. 分子と分子の関係を知るために
上述のように低分子-レセプターの立体化学の最新情報を視覚的に閲覧することも可能になっているが,低分子同士の関係を分子モデルでヴィジュアルに示すことも有効な教材となりうる。
例えば創薬の世界ではすでに計算化学によって新規薬剤が開発されるようになっており,古くから行われている分子の類似性に関する知見は洗練の一途を辿っている。また,近年研究が進んでいる超分子の化学13)において,例えば包接化合物のホスト-ゲスト分子の関係も興味深いテーマである。
これらのついても,Chimeを利用してイメージを把握しやすくすることは分子に対する関心を高める上で有用である。図3にその例を示す。
図3 Chimeで分子と分子の関係を呈示する教材例.
〔左〕分子の重ね合わせ例:エストラジオール(スティックモデル)と合成ホルモンのジエチルスチルベストロール(球棒モデル)
〔中〕包接化合物の例:カリックス[6]アレーン + フラーレン
〔右〕ホスト分子例:18-クラウン-6(静電ポテンシャル表示)
2.4. 分子振動アニメーション
近年分子軌道法や密度汎関数法などの計算化学によって振動スペクトルを求める研究が進み,高精度の予測が可能となった。吉田らがGaussian 98で計算した化合物の振動スペクトルデータ14)の提供を受け,フリーソフトでChime用のアニメーション表示データに変換し,図5に例示するように多数の振動データを動画で参照できるようにした15,16)。赤外・ラマンスペクトル17)の原理や,対称性など分子の形の重要性を学習する上でも役立つものと考える。
図4 CXY3四面体形分子の振動モデル表示例(CH3FとCH3Cl;部分).
3.おわりに
計算化学ソフトウェアは年々機能が向上し,安価なものも登場してきて教育現場での利用も進むと思われるが,高機能なものを扱うには専門知識が必要である。理科離れの状況を踏まえ,各利用分野で専門的に活用しているユーザーが得られた知見を理解しやすいヴィジュアルでインタラクティブなコンテンツとしてWeb上に発信していくことも重要であろう。例えば検索サイトYahoo!の化学分野におけるカテゴリー構成において,英語圏と日本語圏では大きな差があることを考えても,そのことは痛感せざるを得ない。
今後,Chimeの優れた機能やインターネットの新技術18)を活かした化学教育コンテンツやデータベースが国内でもさらに充実していくことを期待したい。
◎Yahoo!のカテゴリー深度例・情報量と閲覧できるコンテンツの違い
◎XMLの話題例
本参考資料集あるいは「分子の形と性質」学習帳のChime利用サイトリンク集,「化学の広場」リンク集に掲載させていただけるサイトやコンテンツがありましたら,本間までご連絡ください! |