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2019/09/15に新潟水俣病現地調査2019が実施されました。 2016/10/16に新潟水俣病現地調査2016が実施されました。 水俣病公式確認60年実行委員会による国と加害企業及び当該自治体宛の水俣病被害の解明を求める全国署名 [PDF] (送り先は最下段阿賀野患者会)にご協力ください。新潟では2016年9月20日を第一次,11月18日を第二次,12月20日を最終集約日としています。 2015/07/25に第87回サイエンスカフェにいがた『新潟にとって新潟水俣病とは? ─新潟水俣病公式確認50年』が開催されました。また2015/09/13には新潟水俣病現地調査2015 [PDF] が実施されました。 → 写真 ご協力をお願い致します。『あなたも、提言「国は今こそ水俣病の全面解決を! ―最高裁判決を踏まえ、新たな救済制度の確立を求める―」の賛同署名にご協力ください。』 ※第30回サイエンスカフェにいがた『化学物質と新潟水俣病』(2009/11/07)ゲストの野中昌法さんやノンフィクション作家の柳田邦男さんほかが呼びかけ人となっています。 2014/09/28に新潟水俣病2014現地調査 [PDF] が行われました。 → 写真,新潟日報記事 |
= 新潟日報NIE欄連載記事「くらしと環境問題」・第8回(2004/04/26掲載)の加筆原稿 | 最新トピックにジャンプ =
水俣病の化学/メチル水銀生成反応(塩化メチル水銀のlog P値よりを追加
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水俣病
《 新潟日報に掲載した原稿を,リンク資料や注釈などを加えて書き直したものです;2004/04/26公開・随時更新 》
※参考資料:本ページへのアクセス状況
インターネットの検索サイトGoogleにより,“minamata”で画像検索すると被害者の痛ましい写真や地図などたくさんの水俣病に関係する画像が出てきます*1。第二水俣病が起きた新潟はじめ国内外各地で発生している有機水銀中毒が初めて公式に発見*2された地として,地名が病気の代名詞として世界中に定着しているのです。これはやはり人為で悲惨な被爆地となった“hiroshima”*3,“nagasaki”も同様です(新潟も原爆投下の候補地でした)。
水産資源が豊かだった不知火海や阿賀野川*4で起きた水俣病は,現代の科学技術が生物世界のシステムに比べてまだ未成熟で,有害な廃棄物を出さずに生産活動ができないことの象徴でもあり*5,これが「緑の化学」(第3回*6)が必要とされるようになった出発点の一つにもなっています。さらに胎児性水俣病は,有害物質は胎盤を通過しないというそれまでの説を覆して*7,胎児が育つ環境の重要性を私たちに教えてくれました。
今,水俣市ではごみの21種類分別収集(資料例1・2)など,真剣に環境問題と向き合う地としてのイメージ作りに取り組んでいます。また,岩波新書「水俣病」の著者である医師の原田正純先生が多くの分野の方々と協力して「水俣学」確立を提唱しているのも心強いところです(日本評論社「水俣学講義」など)。
新潟生まれの私にとって,学生時代の講義等がきっかけで環境問題に関心を持つようになってからも水俣病は簡単には言及できない重いテーマでした。それは原因解明や長年の裁判などで多くの善意の人々の不断の努力が積み重ねられていることを知っていたからです。真実解明の妨げになった国・県・一部の研究者など,社会的事象として見た場合の問題点も根深いものがあります(新潟日報3月29日付記事「環境省が水俣病教訓事業」参照*8)。
ここ数年学生の協力も得ながら数千の分子モデルをウェブや共著(講談社「パソコンで見る動く分子事典」)付録CDの形で送り出し,その中で原因物質の塩化メチル水銀(同書p.260)を取り上げたことくらいしかできずにいます*12。ただ,これも今勉強している計算化学*9が,遅れていた科学的因果関係解明に役立っていることにどこか因縁を感じています。
科学的には未解決だったメチル水銀生成を見事に説明したのが2001年発行の「水俣病の科学」(西村肇・岡本達明,日本評論社)で,同年の毎日出版文化賞を受賞しています。西村先生は,「現代化学」(東京化学同人)という雑誌の2003年3・4月号に新潟水俣病の原因検証の論文も書かれています。新潟の場合,メチル水銀発生源と疑われた企業がプラントや文書を廃棄してしまったため(人はなぜ大事なことを隠したがるのでしょうか*10),残り少ない資料に基づいた実験や理論でしか証明できなくなってしまったという背景があり,この点は水俣ではプラント内で高濃度のメチル水銀を検出できたことと大きく異なります。なお,西村先生は「コンピューターはいい化学者」(東京化学同人)という計算化学の啓蒙書も共著で出されています*11。
また,「水俣病の科学」のもう一人の著書である岡本さんは1990年まで水俣の原因企業に勤めていて,内部から問題解決に携わってきた立場でも書かれています。水俣病に限らず加害者・被害者はお互いにその立場は真に理解できないものですが(例えば痛みという感覚は決して相手には伝わらない),自分が知っている別な痛みなどをもとに弱者の側に思いを致す想像力があるかないかは重要です。
2002年に新潟青陵大学が催した原田先生の講演会を,教職を目指している学生を引率して聞きに行く機会に恵まれ,2004年には連載記事「くらしと環境問題」が縁で招かれた「食の危機」の学習会で新潟水俣病被害者の声を記録する本の出版に携わった方と知り合うことができるなど,少しずつ自分なりに考え続けるヒントが増えてきた思いです。
いまだ終わっていない水俣病については,世界中で著者の努力によってたくさんの本が出版され続けられるでしょうけれど,被害者の身体的・精神的苦痛は回復しないことだけは忘れないようにしたいものです。読者のみなさんも是非一度豊栄市(現・新潟市)の「環境と人間のふれあい館(新潟水俣病資料館)」を訪ね,水俣病について自分なりに考えて欲しいと思います。
また,世界の中で“niigata”をどのような存在にしていくのかも,私たち一人一人に与えられた課題であるような気がしてなりません。
*2 公式に水俣病が認定されたのは,1956年にチッソ附属病院から水俣保健所に報告された患者4人であるが,それに先立つ1953年には後日水俣病の最初の患者と確認された5歳児が発病している。この1953年は「くらしと環境問題」第1回で記した,ワトソンとクリックによるDNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造発見の年に当たる。
*3 筆者も2003年に始めて広島を訪れ,原爆ドームや広島平和記念資料館(バーチャル・ミュージアム)を歩き回ってその暴力的行為の酷さを再認識した。資料館に展示されている,弁当箱の黒焦げの米,高熱で変形した茶碗,爆風でたんすに突き刺さったガラス片などから,その場にいた多くの生物の激痛,苦しみ,悲しみを想像し続けることこそ重要だと思う(目に見えない放射線の恐ろしさについては,岩波書店「東海村臨界事故 被曝治療83日間の記録」,イラクの劣化ウラン弾やセミパラチンスクの核汚染を取り上げた森住卓さんのホームページなどで知ることができる)。また,広島・長崎とも海に注ぐ川辺に位置する街であったことから,同じように信濃川・阿賀野川を抱える新潟の地形に爆心地の風景を重ね合わせて見ることも必要だろう。
*4 新潟水俣病聞き書き集制作委員会による「いっちうんめぇ水らった」には随所に阿賀野川で獲れる魚の種類が記載されており,例えばp.147には,フナ,コイ,ミゴ,ナマズ,ヤツメ,アユ,マス,サケの名前があげられている(ミゴはニゴイの方言)。また,日本評論社「水俣学講義」の『海の生き物たち ─豊かな自然の原風景』では干潟に棲むゴカイの研究者(佐藤正典さん)が小さな生き物の重要性が述べられている。
なお両書籍で,水俣病被害者が現在無農薬・低農薬栽培に取り組んでいることが紹介されている(「いっちうんめぇ水らった」pp.139-142で水留 信さん,「水俣学講義」pp.253-255では濱元二徳さん)。農薬については農薬事典参照。
ところで筆者の勤める県立新潟女子短期大学(現・新潟県立大学)は,下図のように阿賀野川のすぐそばの海老ヶ瀬にあり,まさに新潟水俣病の現場である。公害健康被害の補償等に関する法律施行令・別表第2(法庫)によれば,新潟県内の水俣病多発地域として政令で定められているのは,『新潟市(松浜町、根室新町、津島屋1丁目、津島屋2丁目、津島屋3丁目、津島屋4丁目、津島屋5丁目、津島屋6丁目、津島屋7丁目、津島屋8丁目、新川町、一日市、海老ケ瀬、大形本町、中興野、本所、江口、新崎、名目所及び濁川に限る。)及び豊栄市(高森新田、森下及び高森に限る。)の区域』である。
*5 熊本と新潟の水俣病は,どちらもアセトアルデヒド製造工程で使われた触媒から生成したメチル水銀(有機水銀化合物)が原因である。水銀が使われた理由は「水俣病の科学」(日本評論社)p.222〜に詳しい。なお,製造された化合物は日用品の原料となっていたことを知っておくことも必要で,その意味でも環境と人間のふれあい館(新潟水俣病資料館)を見学することは欠かせない。
現在化学工業で用いられている触媒や反応の副生成物は有害なものが少なくない反面,生物が用いる触媒である酵素(タンパク質)は効率がいい上に生物の世界の循環システムに入り込んでいる。「NHKサイエンススペシャル 脅威の小宇宙 人体 壮大な化学工場/肝臓」(NHK出版,1989年;ビデオあり)のp.55には,『現代の化学技術でブドウ糖から100人分のグルコース6リン酸をつくる工場を実際に設計してみた.するとなんと約300km2の工場敷地が必要となる.しかしそれでも,このプロセスから出る廃棄物を無害な物質に処理することができないのである』(発行当時の技術で)と記されている。蛇足であるが,この模擬プラント設計をしたのは,タンパク質の高次構造のデータベースであるProtein Data Bank (RCSB PDB)の国内サイト運営も行っている大阪大学蛋白質研究所ほかのグループである。
[追記] 下記2004新潟水俣病現地調査に「はてなマップ」を利用した旧昭和電工鹿瀬工場の位置を示したが,同マップで県立新潟女子短期大学(現・新潟県立大学)のある阿賀野川下流まで辿って,流域の患者数と考え合わせて生物濃縮の過程をイメージするのも有効だろう。以下にその画像例を示す(クリックで拡大)。
*6 第3回で取り上げたPRTRについては,2004/03/29に2002年度のデータが公表された(PRTR/新潟県のデータから 参照)。
*7 多くの有害な化学物質が胎児に達していることは現在では多数報告されており,最近のニュースでもへその緒からPCB検出 母から子に入り込む(京都新聞,2004/04/11)というものがある。書籍では例えば,「胎児の複合汚染 子宮内環境をどう守るか」(森千里,中公新書)参照。
なお,新潟においては胎児性水俣病の患者は1名とされるが,この裏には“受胎調節指導”あるいは“妊娠規制”という別の重い問題があり,後述を参照されたい(Googleによる参考検索例:“水俣病 妊娠規制 OR 受胎調節指導”)。若干はずれるが関連キーワードとしては,“出生前診断”,“遺伝子診断”(この分野で参考になるサイト例としては,森岡正博さんのLife Studies Homepage,立岩真也さんのarsvi.com,玉井真理子さんのホームページなど)。
*8 記事のタイトルとして『環境省が水俣病教訓事業/失敗の積み重ね いまこそ検証を/環境教育の「核」を形成/過去に学び情報共有』など。環境省の事業については国内に向けた水俣病経験の普及啓発セミナー〔指導者対象セミナー〕の開催について(2004/02/24,環境省)およびEICニュース(2004/03/01)参照。なお,環境省の担当部署である特殊疾病対策室の対応については,「水俣学講義」(日本評論社)の『水俣病患者の闘い ─公害と差別』(宮澤信雄さん)pp.190-191に批判的な記述がある。
水俣病の教育については,池内了さんの「ヤバンな科学」(晶文社,2004)のあとがきに以下のような一文がある(漢数字は書き直し)。“同時代”という語は様々な問題を考える時に欠かせないものだと思う。
*9 2003年から刊行が開始されている日本化学会編集の「実験化学講座・第5版」(全30巻,丸善)の第14巻は「計算化学」で,第4版では「基本操作III」がコンピュータ利用であったのが,独立した一巻になったことからもこの分野の重要性が増していることがわかる。同書では,環境ホルモン など環境問題においても計算化学が有用な手段になっていることにも言及されている。
*10 水俣病の問題が行政機関や一部の研究機関などの怠慢や意図的妨害によって根本的な解決に至っていないことは上掲書など多くの資料で語られている(Web資料では例えば,「水俣病の科学」に言及した中西準子さんの雑感152「生物濃縮についての誤解」参照)。水俣病に限らず近年の例でも,SARS ,鳥インフルエンザ ,BSE発生後の牛肉偽装問題など,“隠す”ことによって被害が拡大したり,社会の資金や多くの善意が無駄に使われたりすることは枚挙にいとまがない。それぞれについて,その経過や背景を分析していくことは重要であり(そのことを研究していく上では例えば“科学技術と社会”という視座があげられる;STS学会,内閣府による世論調査などを参照),その点で東海村臨界事故について広範な視点で検証したNHKスペシャル「東海村臨界事故への道」(2003/10/09放映)は出色のできであったと思う。
人為的な問題が起きる時にいつも思い出すのは,サッカーボール分子フラーレンの名前のもとになったバックミンスター・フラーが世界が直面している重大な脅威としてあげた,nuclear weapons(核兵器),pollution(汚染),lack of integrity(誠実さの欠如)のうちの3番目の言葉である(「美術手帖」1988年7月号,pp.25-26)。またこの3つ目が他の2つの源であると考えることも可能であろう。
*11 最近の著書に「ゲノム医学入門」(日本評論社,2003)。
*12 2007年9月に「パソコンで見る動く分子事典 Windows Vista対応版 DVD-ROM付」として新版を発行し,p.203の『塩化メチル水銀』の内容も書き直した。
■新潟水俣病現地調査参加の記録 2007年 | 2004年
●2007年新潟水俣病現地調査(2007/09/29) ※新潟水俣病2014現地調査(2014/09/28)に参加しました。 → 写真,新潟日報記事参照
2007年の現地調査には環境省国立水俣病総合研究センター・水俣病情報センターの方や水俣病不知火会患者会の方々も参加され,総勢約70名が3つのコースに分かれて実施された。また,新潟県と新潟市が後援になったこともあって,県・市の水俣病担当課,新聞社(3社)の参加と,テレビ局(2社)の取材があった。
●2004新潟水俣病現地調査(2004/10/23)
2004/10/15に水俣病関西訴訟最高裁判決があったばかりの時期に,2004年の新潟水俣病現地調査(主催:新潟水俣病共闘会議)があり,初めて参加しました。中学生・大学生や市民を含むツアーで,旧昭和電工鹿瀬工場を起点としてマイクロバスでスタッフによる解説を聞きながら阿賀野川を下り,途中で被害者交流会もあって,新しい知識を得ることができました。今後さらに調べて書き足して行きたいと考えています。
問題点としては,妊娠規制がなされた地域が限られていたこと(上・中流域は水俣病の発生確認・認定が遅れたこともある),広報や説明が不十分であったこと,また毛髪水銀値が高い母親に対する授乳規制に対する補助が不十分だったこと,などが挙げられるが,ここでも被害者に対する行政の対応の不備があったと思われ,今後さらに調べ続けたい。
表2 頭髪中水銀値が50ppmを越える母親から生まれた乳児の頭髪水銀値
参考資料例
※『水俣病の科学』第三章の要約(Jim Nishimura Web site)参照
※同書は第55回毎日出版文化賞受賞(記事例1・2).※西村肇『科学者から見た水俣病研究 --自然科学者と文科系との間の深い溝--』ほか
※pp.118-155『 〈座談会〉胎児性患者からのメッセージ』の「ほっとはうす」については例えば,NHK教育TV・福祉ネットワーク「子どもたちに水俣を伝える 〜ほっとはうすの交流授業〜」(2005/05/23放映)参照
※参考:「第五福竜丸 ―ビキニ事件を現代に問う― 」(岩波ブックレット),ビキニ事件の真実(みすず書房),都立 第五福竜丸展示館
※NHK「クローズアップ現代」:終わりなき核被害 〜50年目のビキニ事件〜(2004/08/04)/危機に立つヒロシマ(2004/08/05)▼以下続報
「福島潟の環境について」新発田市立豊浦中学校1年 佐藤大介君
※西村先生の著書と論文掲載誌の例
▼以下関連情報
※胎児性患者については以下のような対策
[2]水俣病被害者に対する社会活動支援等
胎児性患者や水俣病被害者の生活改善・社会活動の促進を図るため、それらに関連する活動や事業に対する支援、それらを行うボランティア団体等への支援、国立水俣病研究センターによる胎児性水俣病に関する社会的研究といった施策の実施等。
新潟水俣病40周年記念誌出版実行委員会 編,
「阿賀よ伝えて 103人が語る新潟水俣病」,越書房(2005)
原田さんのご講演
第1章『水俣病事例における行政と科学者とメディアの相互作用』など
※「知の技法」(1994)・「新・知の技法」(1998)の続編とも言え,同書発刊はSTS学会第4回年次研究大会でもアナウンスされました。
※同大会については学会参加記録(OS『科学技術コミュニケーション:現状と課題』の紹介など),ブログ記事も参照。
参考:有機水銀分解酵素(アルキル水銀リアーゼ,EC.4.99.1.2)MerBの例3f0pのChain A(左)と1s6lのModel 1(右;Hgなし)
※中央の球棒表示(右では空間充填)は分解反応の活性点を形成するとされるCys96・Cys159・Cys160
※資料例:持続可能型社会への貢献遺伝子データベース(長浜バイオ大学)における“有機水銀 or アルキル水銀”検索結果
▼関連情報
※その他の動画(AloysiusShiplapさんのチャンネル)
水俣病関連ニュース
動画例:杉本栄子さんの遺言・1回目(動画は削除される場合もあります)
※その他の動画(AloysiusShiplapさんのチャンネル)
※参考:水俣を歩いて(水俣市視察研修参加記録)
角神ダムにある案内地図(撮影は2004年)
※地図上部□の草倉銅山(阿賀町教育委員会資料参照)の賠償協定が後の足尾銅山や水俣病などの「見舞金契約」の原点になったとの説明
3年ぶりに望む旧昭和電工鹿瀬工場
同工場は写真上の新田が貸し出されて建てられた(下は同新田開墾時につくられた枝村堰跡にある看板)。
過酷な労働を強いられた草倉銅山坑夫の墓(阿賀町教育委員会資料参照)
※参考:『碑は語る30 近代日本支えた草倉銅山 新潟水俣病に続く“影”』,2009/09/30付け新潟日報16頁
カドミウムが高濃度で検出され土の入れ替えが行われた水田(新潟大学・野中昌法先生から説明)
※阿賀野川流域ではCd汚染米がとれる地域が散在し,これは上流に鉱山跡地がある場合に多いとの説明(参考:ファイトレメディエーション)
これも3年ぶりに訪れた旧昭和電工の排水口(新潟日報記事の写真はここを見学しているところ)
千唐仁集落にある水俣の石でつられたお地蔵さん(左;水俣にある地蔵と偶然向き合っていたとされる)と虫地蔵(右)
旧昭和電工鹿瀬工場の位置(はてなマップ)
※参考(こども省ブログ記事例):2005/08/14,2006/04/30
※はてなマップは 2008/03/31 サービス終了(ページトップのGoogleマップ参照)
角神ダム
旧昭和電工鹿瀬工場(右手がアセトアルデヒド製造等の有機工場があったところ)
阿賀野川に注ぐ排水口(改修された現在の様子)
新潟水俣病の阿賀野川における出発点(右手にある排水口から阿賀野川に注いでいるところ;1976年から浚渫工事が行われた)
◎胎児性水俣病について (1)
*7 で記したように,新潟では胎児性水俣病の患者は1名とされていることにいろいろな問題を感じていたので,被害者交流会などで質問させていただいた。また,配布された下記資料でも触れられており,以下の表1・2はそこから転載させてもらったものである(元データは,1976年発行の医学書院「神経疫学」)。
郡別
分類
人数
最低-最高/ppm
単純平均/ppm
I郡
認定患者
26
4.7-239
53.7
II郡
第2次原告
16
8.3-90.2
26.9
III郡
その他
668
2.9-156
16.0
IV郡
食べない
40
3.2-21.9
8.9
V郡
出産した人
S39・40(再掲)99
6.6-293
23.0
※「新潟水俣病ガイドブックII」には乳児の姓名がイニシャルで記載されていたが,割愛してNo.のみにした.
No.
出生年月
頭髪水銀値/ppm
測定年月
母親の頭髪水銀値/ppm
1
(水俣病患者と認定)S40.3
77.0
S40.8
293.0
2
S40.5
76.4
S40.9
115.0
3
S39.9
6.9
S41.5
111.0
4
S40.9
4.5
S41.2
110.0
5
S41.8
5.9
S42.3
90.2
6
S39.9
6.9
S41.5
63.5
7
S40.8
1.6
S41.4
58.0
8
S40.2
7.6
S41.5
57.1
9
S40.4
4.4
S40.11
56.5
10
S40.4
4.1
S41.4
55.2
11
S40.1
3.7
S41.2
54.5
12
S40.10
5.6
S41.6
53.0
13
S40.10
0
S40.11
51.0
◎胎児性水俣病について (2)
(2007/05/31現在,環境省調べ)
引用:朝日新聞記事,『水俣病申請 30〜40代が2割/公式確認から51年』,2007/06/21
※表2のS39(1964)〜S41(1966)生まれの方は2007年時点では40代に入る.
世代
申請者数
10代
1
20代
0
30代
199
40代
907
50代
1537
60代
1415
70代
897
80代
223
90代
10