2001年9月の対米同時多発テロとその後の炭疽菌事件により,NBCテロが懸念されています。日本ではすでに,痛ましい犠牲者が多数出た松本サリン事件や地下鉄サリン事件という経験をもっています。
この事件で用いられ,また化学兵器の原料でもあるサリンとはどのような物質で,どのような作用をもっているのでしょうか。以下は「動く分子事典」(講談社ブルーバックス) p.261 に記載したサリンに関する概略を少し改変したものです。
サリンは農薬開発の過程で発明され,その強すぎる毒性のために農薬としては使われず,その後相次いで開発されたVX(C11H26NO2PS),ソマン(C7H16FO2P),タブン(C5H11N2O2P)と並んで神経ガスとして化学兵器に用いられた。これらの有機リン系神経ガスは,神経伝達物質のアセチルコリンを分解するコリンエステラーゼと結合してしまい,その結果アセチルコリンが分解されずに筋肉が収縮したままになって死に至る。治療薬のアトロピンはアセチルコリンと似た化学構造を持ち,アセチルコリン受容体に結合してこれを遮断し,筋肉の収縮を防ぐ。
松本サリン事件,地下鉄サリン事件で多くの市民が犠牲になり,今も体と心の後遺症に苦しんでいる当事者と関係者が大勢いる。化学物質が悪意を持って使われた時の怖さをまざまざと見せつけられた。
また,1991年の湾岸戦争などでも化学兵器で攻撃される恐怖を多くの市民が味わったことも記憶に新しい。アメリカなどの兵器保有国自身も,保管している老朽化した兵器からいつ漏れ出してくるかわからないという危険に曝されている。日本も第2次大戦中に中国に残してきたびらん性のマスタードガス(イペリット,C4H8Cl2S)などを用いた化学兵器の事故で住民に被害を与えており,莫大な経費をかけての処理を迫られている。
また同書p.258には有機リン系農薬のクロルピリホスについての記事がありますが,こちらは近年問題になっている化学物質過敏症・シックハウスの原因物質の一つとされ,同じ有機リン系のダイアジノンとともに規制対象物質になっています。化学物質過敏症の症状は多様で複雑ですが,クロルピリホスは神経系への影響が疑われており,これはサリンなどと似た構造をもっていることで類推できます。
以下では神経ガスと代表的な有機リン系農薬の重ね合せ,およびアセチルコリンとアトロピンの重ね合せを示しました。
★以下では色分け1で各分子を個別(順次)表示・消去可能 アセチルコリンとアトロピンの重ね合わせ例
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【参考コンテンツ】
分子と分子の相互作用(QSARと有機概念図から)
農薬事典 | MEP
環境ホルモンと疑われている化合物リストの例
化学物質過敏症情報(Chime版) | 資料編 | シックハウスで取り上げられる化合物
「亀-C-C-N」結合で見る脳と分子
痴ほう治療薬/アリセプト
※PDBのアセチルコリンエステラーゼとアリセプトとのComplexデータ例:1EVE
神経ガス,有機リン系農薬および関連化合物の例(初期表示はanti -アセチルコリン)
●神経伝達物質の例 ※参考分子(下記“アセチルコリンのコンホメーション”などを参照) 〈 〈 〈 〈 ●神経ガス ●神経ガスの治療薬例 ●有機リン系農薬の例
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図 神経ガスや環境関連化学物質等,および農薬の有機概念図
【参考】アセチルコリンのコンホメーション
※アセチルコリンはムスカリン受容体とニコチン受容体の両方に作用する(講談社サイエンティフィク「メディシナルケミストリー 第4版」p.20・138などを参照;pp.172-174にはPAMなどコリンエステラーゼ阻害剤の説明).
★以下では色分け1で各分子を個別(順次)表示・消去可能
アセチルコリン(伸張形,anti)とムスカリンの重ね合わせ例
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★以下では色分け1で各分子を個別(順次)表示・消去可能 アセチルコリン(ACh)と(+)-trans-ACTMの重ね合わせ例
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