東北楽天とのオープン戦後、
千葉ロッテマリーンズの顔と言うべき投手、
ジョニーの引退セレモニーがありました。
もうチームを離れているため、マリーンズの選手ではなくなってしまっているのですが、
恐らく色々な方が動かれたのだと思います。
マリンスタジアムでの引退セレモニーが実現
の運びとなりました!
セレモニーでは
54のピンストライプのユニフォームに身を包み、
三人の打者を相手に本気投球!
バッターボックスに立った(今日のオープン戦の対戦相手である)
同期の東北楽天の磯部にしても、
マリーンズ投手陣の先輩小宮山にしてもまだ現役なのに早すぎるよジョニー(/_;)/~~
自分が最初にマリーンズの試合を見に行った時の先発がジョニーでした。
それだけに個人的にも思い入れが強いのです。
ジョニーの歴史を追う映像の後、本人がマウンドに姿を現した時は泣きそうになりましたよ…。
打席に立ったサブロー、磯部(試合後に残ってくれて、ちゃんと本気で打ってくれた!)、
そして福浦をしとめた投球はとても引退してしまった投手とは思えないものでした。
終了後のコメントで「必ずここへ帰ってくるからサヨナラは言わない」と言ってましたが、
本当に、帰ってきてくれる事を切に願います。
ジョニー、ありがとう!!
フィリップ・グラス 歌劇「流刑地にて」(In the Penal Colony)全一幕
第一部 カフカ・プラス
1:R.シューマン「君よ知るや見知らぬ(南の)国」Op.79-28
前川朋子(s)、中川賢一(p)
2:F.シューベルト(ライマン編曲)「ミニヨン」
丹藤麻砂美(s)、エクセルシオ弦楽四重奏団
3:G.クルターク「カフカ断章」Op.24(1985)より
星川美保子(s)、山田百子(vn)
4:J.ブラームス「ワルプルギスの夜」Op.75-4
醍醐園佳(s)、前川朋子(s)、中川賢一(p)
5:G.クルターク「カフカ断章」Op.24(1985)より
星川美保子(s)、山田百子(vn)
第二部
P.グラス 歌劇「流刑地にて」 In the Penal Colony 全一幕 (2000)
原作 F.カフカ
台本 R.ワーリッツァー
演出 三浦基
指揮 中川賢一
弦楽 エクセルシオ弦楽四重奏団/山本修(cb)
旅行者 小林彰英(tr)
士官 岡本敦司(br)
彼 石田大
フィリップ・グラスのオペラが(日本人によって!)上演されるという情報を得て、
観劇してまいりました('▽')
東京室内歌劇場も新国立劇場の小劇場も初めてなのでワクワクしながらホールへ。
で、新国立劇場といえばヨーロッパのオペラハウスのような絢爛な意匠が施された大ホールな訳です。
それ以外ではせいぜいその先に中ホールがある事くらいしか知らないので、
「小ホールなんてあったっけ?」という感じ(^-^;)
建物に入っても、案内板はあっても入口が全然見当たらないwww
ロビーを一周したところで、入り口のすぐ脇に細い階段を発見、
「小劇場入口」の矢印はそこに向かってました。
ど、どこに連れて行かれてしまうのだwwww
そんな秘密回廊のような階段を降りた先には、普通のクロークともぎりのお姉さんが。
バーカウンターもある普通のホールっぽくて一安心…と思いきや、
ホールの中は真っ黒wwwww
もう床から壁から舞台から、とにかく真っ黒なのですwwwww
床板は質素な木板に黒い塗装をしただけの感じ。
どこのアングラ劇場なのかと!
新国立劇場の敷地内にこんなワクワク感たっぷりな建造物があるとは!
正直見直しましたよwwwww
@
公演について:
閑話休題
今回の公演は二部構成になっていて、前半はドイツリートを通じてカフカの世界に近づく、
という内容のようですがいまいち意図が判らず(^-^;)
でもクルタークのカフカ断章は名曲です!素晴らしい曲に出会えました。
そしてメインであるグラスのオペラ「流刑地にて」
これはカフカの小説を原作として、登場人物は男性三人(うち歌手二人)
オーケストラは弦楽五部。しかも最小単位に切り詰められた弦楽四重奏+コントラバスという編成。
確かにホールに相応しいミニマムな歌劇です(一幕物ですし)
@
歌劇「流刑地にて」あらすじ
:
ある学術冒険家が、南国(原作ではアフリカ)の流刑地で行われている「伝統的処刑」の視察に訪れる。
そこでは司法の一切を取り仕切る士官(原作ではフランス語を喋る欧州人)が冒険家を出迎え、
目の前に据えられた巨大な「処刑機械」が如何に素晴らしい物であるか、説明を続けている。
「処刑機械」とは、既に他界した前司令官が開発した全自動処刑装置で、
無数の針で囚人の身体全体に罪状を刻み続け、12時間苦痛を与え続けて衰弱死させるという「画期的な」装置。
しかも裁判は行われず、装置に掛けられた囚人はなぜ自分が処刑されるのかすら判らない。
「罪を疑ってはならない」という前司令官の言葉を忠実に実行し続ける士官は「裁判など必要ない」と言い切る。
だが補修の予算を削られた「処刑機械」は故障し、
処刑は実行されず囚人は解放される。
司令官が交代した現在、この処刑法を、ひいては前司令官の理想を忠実に支持実行するのはこの士官一人だけ。
現司令官は、この非人道的な「伝統的処刑」を非難し廃止させるための論客として冒険家を招いたのだった。
しかし前司令官を崇拝し、伝統を重んじる士官にはその「理想」が消滅する事が耐え難く、
冒険家に「司令官や会衆に意見を求められても何も述べないで欲しい」と熱く説得するが、
冒険家は欧州人の常識的な価値観からそれを拒絶し、このような殺人機械はあってはならないと看破する。
前司令官の遺した偉業、理想の終焉を確信した士官は、
故障し崩壊する「処刑機械」に自らの身体を据え付け、暴走する針に惨殺される。
冒険者に「前司令官の墓参に行くように」と言い残して。
この機械で処刑された者たちはある種の救済のような「悟り」の表情で滅すとされており、
士官もそれを求めての自害だったが、その断末魔の表情には苦悶の色しか無く、
冒険者は「彼に救済は無かった」と呟き、流刑地を去る。
…これだけ書くと酷く殺伐とした歌劇ですが、概要は本当にこんな感じです(´;ω;`)
舞台装置は無数のレインコート(物言わぬ兵士たち)。
舞台中央のオーケストラボックスに入る「殺人機械」の基部としてのオーケストラ。
天井から吊される巨大な振り子(殺人機械の針の部分)
それだけですが、真っ黒い舞台と相まって異様な存在感でした。
特にラストの士官が処刑機械に惨殺されるシーンでは、ffffで絶叫したオケが突然静まり返り、
左右にゆっくり揺れる振り子から飛び散る水滴の音だけが、ぴちゃぴちゃとホールに響き続けるその戦慄((((;゚Д゚))))
それが何を意味するのかは明白過ぎてゾッとしました。
音楽は2000年の作曲という事ですが、グラスはここで80年代の書法に戻っているような感があり、
所謂「グラスサウンド」を十二分に堪能する事ができます。
出世作「コヤニスカッティ」や、Thin blue lineのサントラのような憂いを帯びた宿命的な響き。
ぶっちゃけてしまえば、パズルのピースのような「グラス動機」の組み合わせで曲が出来上がっているので、
「どこかで聞いたことがある」音しかしないのも事実ですがwww
但し、今まで聞いたどのグラス作品よりも重暗い陰鬱な響きがしていました。
二人の男性歌手、それから台詞が無くパフォーマンスだけで演技をする俳優。
三人とも物凄い存在感でぐいぐいと作品世界に引き込まれました。
演目の選び方といい、一気に東京室内歌劇場のファンになってしまった感じです(笑)
今後の上演予定もかなり興味深いものがあるので、ちょっと通ってみようかと思った次第w
そして「流刑地にて」はもっと上演されるべき、二十世紀最後に咲いた名作歌劇だと思います!
私の主題は戦争であり、
戦争の悲しみである。
詩はその悲しみの中にある。
詩人の為しうる全てとは、警告を与えることにある
−ウィルフレッド・オーウェン
B.ブリテン:戦争レクイエム(War Requiem) Op.66
(ラテン語の典礼文とW.オーウェンの詩による)
指揮:高関健(群響音楽監督)
木下美穂子(s)
吉田浩之(tr)
福島明也(br)
管弦楽:群馬交響楽団
合唱:群馬交響合唱団
合唱:高崎市立京ヶ島小学校合唱部
合唱指揮:阿部純
会場:群馬音楽センター
この3月をもって群馬交響楽団音楽監督を退任する高関監督、
その退任公演に選んだのは、ブリテンの大作(問題作)「戦争レクイエム」でした。
退任演奏会がこの曲(第二次大戦に関わる反戦音楽)なのは、
純粋に素晴らしい作品なので演奏の機会を狙っていたという事と、
しかも本来は昨年9月の公演に載せたかったものの、それでは準備が間に合わないので
「たまたま退任公演になってしまった」だけとの事。
高関監督が二十余年かけてスコアを研究した初成果が今日の演奏会という訳です。
しかし巨大な編成の音楽です。
フルオーケストラに13名編成の室内オーケストラ。
280名の混声合唱団、48名の少年少女合唱団、3人のソリスト。
こんなものが音楽センターのステージに乗り切る訳もなく、
少年少女合唱団とオルガンは客席左後方に陣取ってました。
当然ステージ上も身動きが取れないくらい楽団員が詰め込まれています。
指揮台は三段重ねという今まで見たことも無いような高さ(笑)
初演時はメインのオケ、室内オケ、合唱と三人の指揮者を要したと伝えられていますが
(映像も残っているそうです)、今回は少年少女合唱のみ別の指揮者に任せただけで、
残りは全て高関監督が采配するという離れ業(^-^;)
曲は第二次大戦で破壊された大聖堂再建に際して1962年に作曲されたもので、
通常のラテン語の典礼文をずたずたに分断し、
そこに第一次大戦で戦死した詩人オーウェンの戦争という行為そのものを告発する詩を挿入した100分越えの大作。
このオーウェンの詩がとにかく衝撃的。
詩は戦場で敵味方に別れた友人二人が主人公。
戦争が激化する中、散り散りになる二人。
やがて片方の兵士が激戦で瀕死の重傷を負い地下道に転がり込むと、
折り重なる死体の一人が立ち上がって、彼に向かって呟く。
「友よ、私を敵として殺したのは、君だ。」
このような詩にラテン語の典礼文が挟まっている訳ですが、
詩は時にそれを拒否し、時には寄り添いながら、
最後は天上世界を歌う「楽園にて」と兵士二人の「さあ、眠ろうよ」という言葉が繰り返し歌われ、
非常に不安定な和音の「アーメン」で消えて行くという、
非常に深く重い作品です。
曲は全体としては、楽器編成が巨大な割には全合奏が少なく、
極めて室内楽的な書法で書かれている音楽です。
巨大な編成のオケがとつとつと静かな音を繋いで行くという情景は、
マーラーやショスタコーヴィチ後期の作品と近い雰囲気を感じました。
そして演奏後は鳴りやまないカーテンコールと高関監督に送られる花束。
同じく本日をもって定年退職する打楽器奏者の岡昭男さんにも花束が('▽')
ロビーでのトークコーナーでは、
「これで無職になってしまったので、本当に明日からどうやって食いつないで行こうか真剣に考えています」
とか本気か冗談か判らないコメント(笑)から
「(作曲はしないのか?と問われ)若い頃に試しましたが無理でした」
とか
「群響のレパートリーは飛躍的に拡充した。あとはもうちょっと団員の数が増えればどんな曲にも対応できる」
とか
「もっと(響きの)良い本拠地ホールができれば更なる技術向上が可能であるし、首都圏からの客をもっと呼ぶ事もできる。
今の群響はそのレベルにある。」
とか色々な興味深い話が聞けました('▽')
やはり高関監督自身は欧州に軸足を向けた活動を目指している模様。
でも本当に、高関時代の15年間は群響の黄金時代として今後も語り継がれるでしょう。
何と素晴らしい偉業!('▽')
しかしカリスマ指揮者の長期政権の後は、後継者選びに窮するというのはどんな名門オケであろうと同じで
(モントリオール響の迷走が記憶に新しい…)、ご多分に漏れず群響も次期音楽監督が未だに決められないとの事。
確かに高関監督の後だと人選が難しいだろうなぁ…。
どちらにせよこの黄金期を継続発展させる事のできる良い後任監督が来てくれる事を切に願います。
高関音楽監督の選曲、演奏には15年間楽しませてもらいました。
本当にありがとうございました('▽')
(写真左:高関監督 右:定年退職する打楽器奏者の岡昭男氏)