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概要: 1750年7月28日、大作曲家J. S. バッハはライプツィヒで死亡した。その後、バッハの音楽は忘れられたといわれているが、実際には現在に至るまで忘れられたことは一度もなかった。理由は多くの弟子が彼の鍵盤作品を教育に使ったためだ。平均律クラヴィーア曲集の出版は1801年だが、それ以前から手書きの楽譜でヨーロッパ中に流布していた。教会音楽は時代の変化の中で使われなくなったが、最後の職場、聖トマス教会では彼のモテットが演奏し続けられた。19世紀に入るとベルリンを中心として教会音楽の演奏がはじまり、1829年、F. メンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》の蘇演の大成功によって一般にも知られるようになる。没後100年の1850年、メンデルスゾーン、シューマン、リスト、ワーグナーなどの錚々たるメンバーによって「バッハ協会」(Bach-Gesellschaft;Bach Society)が設立され、旧バッハ全集の出版が始まる(出版完了は1900年)。
【カフェの記録】
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PDF版ポスター
(デザイン:池田佳織さん)
●スタッフ