●本稿は星の環会発行の「理科教室」2005年6月号pp.34-41の記事に加筆して一部修正したものを,出版社のご了承を得て転載したものです.
●本文からリンクしているページは別窓を開いて表示します。分子モデル表示ページを参照するには,フリーウェアのChimeが必要です(入手方法)。


◆ 分子モデル可視化ツールChimeを使った化学教育 ◆

県立新潟女子短期大学・生活科学科生活科学専攻 本間善夫


1. 分子モデルを用いたWeb上の化学教材
 パソコンとソフトウェア,インターネットの急激な進歩により,化学分野でもWeb上に有用な教材やデータベースが増えてきている。例えば「Webラーニングプラザ」1)には,環境,化学(キラル化学コース,理論化学・計算化学コースなど),ライフサイエンス,ナノテクノロジー・材料,などの分野があり,基礎から最新情報まで音声と動画でわかりやすく学ぶことができる。また,「理科ねっとわーく」2)では『最先端科学技術の研究成果を用いた科学技術・理科教育用デジタル素材』の一般公開を2005年から開始しており,例えば化学関連では『化学実験Webコレクション』や『有機分子モデルデータベース』のほか,原子やタンパク質・DNAを扱ったものもあり,必要に応じて適宜利用できるメリットがある。このうち,有機分子モデルデータベースは3次元分子をブラウザ上で自由に動かして見ることができる。また公開準備中の『神経とホルモン』では,神経伝達物質やホルモン,関連するタンパク質の立体構造を参照できる。
 上記サイトで利用されているものをはじめ,3次元分子を閲覧できるソフトは有料版・無料版が多数公開されているが,今回紹介するMDL社の無料ツールChime3)は,マウスで分子を動かしたりズームする際の反応がスムーズである上に様々な分子情報を表示することができることから,多くの専門サイトのプレゼンテーション,化学教材,Protein Data Bank(以下PDB)4)等の生体高分子関連データベースなどで用いられている。
 本稿では筆者がWebで公開しているChime利用教材を中心に,その活用方法について紹介する。中学校理科の「物質とエネルギー」や「生物とその環境」,高等学校理科では,「理科総合A」の「日常生活と物質」や「生物のつくる物質」,「理科総合B」では「生物と環境とのかかわり」,「化学I」で取り上げられる多くの有機化合物,「生物I」では「遺伝」や「環境と生物の反応」など,必要に応じて直接あるいは補助教材として利用することができると考えている。「化学II」・「生物II」でも同様だが,前者では「生命と物質」が導入されたこともあって,生物と同様に生体高分子データの活用も期待できる。

2. Chimeで見る分子
 Chimeについては以前本誌でもその画像を用いた資料を掲載していただき5),そこでソフトウェアとデータ集を収録したCDのついた書籍6)にも言及した。筆者サイト7)では化学関係のニュースなど新しい話題についても適宜関連分子や有用なページへのリンクを載せたコンテンツを公開し,より多くの方に分子の面白さを知ってもらいたいと活動を続けている。
 最初にChimeの特殊な機能例で,その性能の高さを示したい。これは広島大学の吉田弘先生ほかとの共同研究で,計算化学により得られる種々の振動状態(分子を構成している原子群の中では,2原子間の距離の伸縮,3原子のなす角の変角の振動運動があり,それぞれ決まった波長の赤外線のエネルギーによって引き起こされる)をChimeのアニメーション機能を利用して表示しているもので(分子振動データ集8),図1に二酸化炭素と水の例を示した。左半分が通常の球棒モデル(原子を球で,共有結合を棒で示したもの)である形状のところで停止したところ,右半分はその状態でChimeによる静電ポテンシャル表示機能を適用したものである。これは分子内における電荷の偏りを示すもので,負側が赤に,正側が青で表示されるため極性がある(分子内の正電荷部分の重心と負電荷部分の重心がずれていて,分子内に正負の極ができること)かないかがわかり(単純には構成原子の電気陰性度である程度予測できる),分子の形状が重要であることを視覚的の理解してもらうことが可能である。さらに二酸化炭素のような極性がない分子でも,振動によって瞬間的に極性を持つことなども説明できる。なお,この振動が赤外線の吸収とその後の熱の放出と関係し,温暖効果ガスの原理にも結びつけられる。


図1 二酸化炭素と水の振動(それぞれ上から全対称伸縮振動,逆対称伸縮振動,変角振動)とそれを引き起こす赤外線の波数の実測値と計算値。

 ここで注目すべきなのは,この特殊なアニメーション用データをはじめChimeで利用できる分子データファイル形式には数種類あるが,何れも基本的には原子の種類と3次元座標しか記載しておらず,上記静電ポテンシャルや疎水性ポテンシャル(Lipophilic Potential;分子内における親水性・疎水性の大きさの分布)も,Chimeプログラムが計算して表示していることである。また,それらの表示変更は分子モデル上でマウス右クリックして表示されるメニュー(英文)で実行できるだけでなく,HTMLソース(Webページを作成するための表記で携帯電話用のサイトでも利用される)を工夫すれば図1にもあるようにボタンを押すだけで情報表示等をさせることも可能で,これは筆者コンテンツ集9)の各HTMLソースを表示して参照することで自作することもできる。
 分子データについては,安価なソフトウェアやフリーウェア10)を利用すれば分子組み立てや構造最適化計算が可能であるが,少し分子が大きくなると厳密な立体座標を求めるには注意が必要である。
 Chimeの分子表示形式には球棒モデル(図1左・図2が例),空間充填モデル(図4左)などがあり,分子構造の見方や共有結合の意味などを説明・理解するのに役立つ。さらに,マウスで任意に原子を選択して距離,結合角,二面角などの情報を得ることができ,例えばメタンが結合角109.5°の正四面体構造であることを確かめたり,図1の直線型CO2と折れ線型H2Oのように分子では立体構造が重要であることを説明したりするのに適している。


図2 甘味物質を比較できるコンテンツ11)におけるアスパルテームの表示。

 これらの機能を使うには,英文メニューを複数回用いなければならない場合もあり,生徒用に必要な表示変更ができるようHTMLソースを記述しておくとよい。図2は甘味分子に共通な立体構造が必要とされていることを示すための教材11)で,ボタンを押すだけで着目させたい三角形構造を距離とともに示すようにしたものである。
 次に,分子の特性を知るのに重要なのが親水性・疎水性であり,いろいろな化合物について上述の疎水ポテンシャル表示により確かめてみるのも有効であり,有機化合物においては一般に炭素が多いと疎水性で,ヒドロキシ基等のOやアミノ基等のNなどが多いと親水性になることが理解できるようになれば分子に対する抵抗感が薄まるものと期待される(図3は種々のビタミンの教材例12))。親・疎水性は,薬理活性や毒性などでも重要であり,分子と分子の相互作用の基本となるものなので,水への溶解度のデータや,オクタノール-水分配係数(水と疎水性のオクタノールとを2層にして化合物を溶解した時の両層への溶解度の比で,その化合物の親水性・疎水性がわかる)13,14)などを調べておいて比較しながら説明するとよいであろう。


図3 「水溶性ビタミンと脂溶性ビタミン」12)におけるL-アスコルビン酸の疎水ポテンシャル表示。

3. Chimeで見る生体高分子
 ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造発表からちょうど50年後の2003年にヒトゲノム解読が完了し,さらにタンパク質の構造や機能の解析を進めてその全体像であるプロテオームを明らかにしていくことで,生命システムの成り立ちを解明しようと努力が進められている。低分子とタンパク質の相互作用も1対1で見るのではなく,そのシステム全体に及ぼす影響を調べることが求められるようになってきている。
 この分野では多数のデータベースが有機的に結びつけられて公開され,研究と教育の双方で利用が可能になっている。2003年に起きたSARS(重症急性呼吸器症候群)禍では,世界中の研究者がネットを通して協力し,短期間でSARSコロナウイルスの遺伝情報やタンパク質構造が明らかにされて公開されたことは記憶に新しい。
 生体高分子を表示する上でも,Chimeは優れた機能を多く有している。多くの研究者によって解明された立体構造データを収録しているPDB4)のデータであれば,DNAでは4種の塩基の色分けができ,タンパク質ではα-らせん構造とβ-シート構造(直線的な板状構造)といった分子鎖の特徴的な二次構造を色分けしたリボン(図4右の例を参照)で表示できるなど,それぞれの構造特性を視覚的に把握することが可能である。これは,PDB形式データに,原子種・座標データだけなく,塩基の種類やアミノ酸残基の種類が記載されているので,Chimeが判別して表示変更ができるだけでなく,各原子の位置関係を計算して二次構造のグラフィック表示するという高度な処理能力を有しているためである。


図4 Chimeによるタンパク質の表示例(PDBデータの6rsa;PDBのデータIDは4文字の数字とアルファベットで表記される)。左の空間充填表示を右のような二次構造表示にすることで立体構造の特徴が明確になる(水素結合)。
 筆者のサイトでは,これらの情報表示変更を極めて容易にできるように工夫しており,利用者がボタンの押し方を工夫することで,分子生物学やバイオインフォマティクス(生命科学と情報科学が融合した新しい研究分野)関連の書籍等に出ている高度な画像を作成できる(PDB部分データによるコンテンツ集参照)。特にタンパク質については,酸性・中性・塩基性アミノ酸区別,あるいはアミノ酸の疎水性の大きさ順などに着色表示できるようにしたため,前項の低分子-低分子相互作用の延長で生体高分子を閲覧することが可能となった。図5にはテーマ別にいくつか公開しているデータ集(P450データ集膜貫通タンパク質データ集βバレル型膜タンパク質データ集など)の一例を示す。

図5 テーマ別生体高分子データ集からP450データ集の画面例。Windowの上欄がデータリスト,下右欄が表示変更用のボタン。シトクロムP450は多くの生物で様々な代謝反応に関わっており,何れもおにぎり型の独特の形状を有し,活性中心としてヘムが存在。
 またPDBタンパク質データの中には低分子を含むものもあり(その低分子をリガンドという。例えばヘモグロビン中のヘムなど),そのリガンド近接のアミノ酸残基番号を“SITE”(リガンドの座席)情報として記載している場合があるので,リガンドとSITE部分の座標データだけを抜き出して構造表示するデータ集15)も公開し,上述のアミノ酸残基の性質別色分け表示で,低分子との局所的な相互作用を推定できる格好の資料となっている(図6に例)。また,長いタンパク質鎖の離れてところに存在するアミノ酸が二次構造など複雑な立体構造によって集まってSITE部分を構成していることを知ることは,生体分子の面白さを知る上で重要であるばかりでなく,アミノ酸配列を決定しているDNAの役割(コドンと遺伝暗号表参照)に言及する上でも欠かせない教材と言える。


図6 PDBデータ1hbpのリガンドであるレチノールとそのSITE(右)。左はタンパク質全体で,SITE部分のみスティックでドット表面表示。

 そのDNAで遺伝情報の重要な鍵となる4つの塩基部分の相互作用を知るために作成した,着色していない塗り絵用の画像を図7に示す16)。楕円で囲んだ塩基部分は,C,H,N,Oだけから成ることから,それぞれの原子価がわかれば原子別に色を塗らせ,さらに水素結合のできる要件から,その部分を線で結ばせることもできる。これはワトソンとクリックが針金模型で二重らせん構造を見出したことの疑似体験とも言える。生体内ではこのようなルールで多様な現象が起こっていることを学んでもらうことは,比較的限られた元素の種類でいろいろな働きをする分子の興味深さを把握するための一つの手段になるだろう。


図7 塗り絵で学ぶDNAの遺伝情報の秘密16)

 冒頭に記したように,高等学校「化学II」で「生命と物質」を扱うようになるなど,化学と生物の共通事項が増えているほか,「平成15年度 科学技術の振興に関する年次報告」17)の『科学技術の重点化戦略』に挙げられている9分野の中には,ライフサイエンス分野や環境分野が入っているなど,生体高分子に関する教材16)は今後も重要度が増すと思われる。また,人間が自らを知るために進歩させてきた諸科学の中で生命システムの精緻な成り立ちを知って,その大切さに思いを致すことはこれからの時代に欠かせないものと考える(筆者によるものとしては例えば,「生命を考える家庭科」)。利用者が自由に動かしたり表示を変更できるChime利用教材が今後も多数作成され,その目的達成への一助になればと願っている。



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