94.10.01
四阿山は「づら」と「だんべ」の国境にある鳥居峠から登る。
1994年10月1日、以前より計画していた上州武尊山登頂がメンバーの減少により中止となり、急きょ少人数ながら上信国境の鳥居峠に在る四阿山に登ることとなった。朝6時、小野上の塩川温泉駐車場に集合した山田・後藤・佐藤の三名は、国道353号線を西に向った。中之条から国道145号線に入り嬬恋渓谷となる、前日までの台風26号の余波で道路には木の葉が散り、吾妻川は茶色の水を多量に流している。長野原駅付近では朝早い中学生たちが見える、草津への分岐点を国道144号線へと進む。すでに嬬恋村である。万座鹿沢口駅付近を通過し、暫くしてキャベツ畑が一面に見える、キャベツ畑の先になだらかな尾根を南から北にそびえるのが四阿山(アズマヤサン 2332.9m)だ。尾根の先も山頂も雲の中だ。登山口となる鳥居峠駐車場も霧の中である、尾根境の峠はいつも霧がおおい様だ。天気予報では、今日は曇り時々雨で降水確率は10か20%で低い、もしかしたら降るかもしれないがまだ見ぬ山頂への期待で雨など気にならない、雨具や食料それに大事なビールをリュックに入れ支度を整える。駐車場には十台前後の車、この駐車場は有料らしい、隣の着いたばかりのご機嫌そうなの男性に尋ねると、駐車料金は300円で峠のドライブインの主人が入口を丁寧に説明してくれるからとの事、残念ながら朝の準備で忙しそうな主人はなにも説明しなかった、登山口の大きな案内板を見るコースは二つあるらしい、広い砂利道のなだらかな林道を入った、八時半である。
暫く進むと、山道への分岐がある、右が「吾妻山林道」、左が「四阿山へ」とある、後にしらべたら四阿山は別名吾妻山と呼ばれているとのこと、左の林の中へはいる砂利はないがジープくらいは通れる林の中、道の両脇には草の中に大きく育ったいろんな茸が有る、詳しい人なら「食べられる!」と言うだろう、栗の実も転がっている。霧も薄くなり、落葉樹が増え、クマ笹が減ると分岐があった。右が「四阿山」、左の細い道が「的岩」経由の四阿山だ、ここで一休みする事とした。休んでいると、年輩の夫婦らしき二人ずれが軽く挨拶して通る、働き盛りそうな夫婦は先ほど見た大きな茸を取りに来たのか、山登りに来たのか判らないが登山靴を履き、女性は花柄のズボンでストックを持ち山にはなれていそうである。われわれは、彼らとは反対の「的岩」経由に決めた。
それまで、のんびりと歩いていたのが突然急な斜面となった、とりとめのない話はとぎれ「ハーハー」の呼吸となる、林の中を一直線に延々と登る道は時々一息いれないと登れない。そんな道もなんとか過ぎ「的岩山」(後で判ったのだが)の平坦な草の中に出ると余裕である、それまでの苦労は消えのんきな会話が弾む、「四阿山は何処かな?」すでに”もや”はなく前方に山が見える、あの山の奥の雲に隠れたのが「四阿山」の山頂だろう。「それより的岩は?」などと言っているとやがてコケのある林の中、倒木が何度も道をふさぐ、下り道である。
林の中を上り詰めると、「アッ、あれだあれだ!」やっと「的岩」に着いた、巨大な石を屏風のように積上げたように見える「的岩」は、林の尾根沿いに二〜三十メートルぐらいあろうか、高さも数メートルだ、狭い岩の上は登ることができない。「的岩」の中程には、数人のグループが休憩中だった、われわれは一番手前で休むことにした。最近、赤城の「鍋割山」やここの近くの「湯ノ丸山」など、小さな山登りを幾度かしているので、厳しかった先ほどの急斜面を思い起しても、「余裕だよな」とみな元気一杯である。十時休みだ、山通の人に聞いた「舎利バテをしないように」と言う言葉を口にしながら、朝早くてあまり食べていない胃袋に入れる「おにぎり」が、とてもおいしい。この休憩地点は周囲の景色は林の中なので何も見えない、若い人たちが「山なんて」と言っている山で、「偉大な業績を残す人」の様な気分で持参した菓子や果物を口にする、だれかが「鳥がいないね!」と言った。確かに静かである、かすかな声がするがこの後も鳥の声はあまり聞かなかった。水も林の中、はるか谷間を流れているようだ。
30分ほどの休憩の後、「的岩」のもう片方の端に登ると、西に展望が広がっていた、「菅平牧場」の牛たちが見える。山頂もまるで雲の中でもないだろう。林道の外れからこの「的岩」へと続くらしい分岐を進み、しゃくなげの木など、低木林の根とコケ類が登山道を覆う道は、けっこう急で道の区別がつきにくい。
そんな林が突然途切れ、急斜面の草地に出た。先ほど、「的岩」で休んでいた男女数人が直ぐ上で休んでいる、我々も一息入れることにした、展望が南に広がる。皆同じ様な所でやすむこととなるのだな・・・ 天候など気にせずに登ってきたが、やはり山の楽しみの一つは展望である。霧が引けた眼下には、鳥居峠のドライブインが赤い屋根をみせ、前方に見えるはずの「湯ノ丸山」と一面のキャベツ畑が見える。さらに進むと、川らしき谷間の木々の上の稜線には「あずま屋」が見える。はるか前方には、「田代湖」とキャベツ畑が。その周囲は、「雲、雲、雲、」で浅間山などいっこうに見えない。山の天気は変りやすい、山頂に着けば雲はないだろうと期待し、それよりも「歩けや歩け」である。低い山をのんびり登っていた我々にとっては、二千メートル級の山と思うと本気になる。
やっとこ、「的岩」経由の山道が本道に合流した、本道は近年復元された昔の信仰の道「花童子(げどうじ)通り」で、先ほど見えた「東屋」から稜線づたいにここの分岐の「東屋」に続く。もう、半分以上来た、鳥居峠ははるか彼方だ。案内板には、”山頂まで後2キロ”とある、後一時間ぐらいで山頂に着くだろう。
後三分の一もう少し、2040メートルのこの分岐を出て直ぐは、石の道で鞍状の尾根が続き「風が強いので注意」とのこと、リックに付けてきた”星条旗”が風にたなびく、やはりこんな時の旗は、今や右翼を連想させる「日の丸」より、帽子や水着の模様にまでしてしまう陽気な人たちの「星条旗」が楽しい、見晴しのいい石の斜面小さな石宮の脇に腰を下ろす。眼下には、色づき始めた紅葉が緑の中で真っ赤に目立つ。
石宮に小銭をのせ、再び林の中へ、道のぬかるみには人の足跡に混じり「獣の足跡だ!」、しばらく進むと何という種類だろう羊でも追いそうな”大きな犬”が、その後から数人のグループが続く。なれていそうなその犬は、山に来て嬉しそうだ。人なつこく寄ってきて、それからずっと頂上まで我々に着いてきてしまった。犬を道ずれに”もう少し、もう少し”と、いくつかのグループと前後しながら登っていく。根子岳との分岐に着くと山頂の石宮がはっきり見える雲の中と思っていた山頂は雲の行き来が激しい、「前進前進」、ついに山頂に着いた。
”ついに山頂に着いた!”、「山頂に着いた」喜びは、やはりすばらしい。雲までが、ご褒美に退いてくれたようだ。嬬恋村の一面のキャベツ畑、その中には、「バラギ湖」とそこから続く尾根がこの山頂に延びる、はるか浅間山にかかった雲の端に小さく小浅間が、その手前にはこの前訪れた「鬼押出し」の建物の赤い屋根が、西に目を向けると先ほどの分岐から続く道が草原の緑を横切って根子岳の山頂へ、その脇にゴルフ場と牧場の緑が続く。その北は、低い山々の谷間に雲海が見渡す限りだ。
山頂の東屋の様に見えていた石宮は二つあり、その周りですでにいくつかグループがけっこう広い山頂を埋めている。なんとか、適当な場所を見つけ、さっそく「ごちそう」を並べるそれにビール、山頂では何もかも旨い。「ついに登った」みな口々に「エライ、偉い」と自らをほめる。満腹になると、山頂の立札を背に記念写真それに気持よく”うたた寝”をしたり、雲の行き来を眺めたり。
一時間ほど休んだようだ、もう二時である。下るには、「的岩」経由でない方を通っても、三時間はかかる。もう帰らなければ!
山頂を離れると下から、年配者を含むグループが登ってくる。いまごろでは、山頂で休む時間はないだろう。我々もそうだが、もう少し朝早くから登ればよかった。下りは早い、あの分岐のあった「東屋」に着いた。雨が降りだした、「東屋」でちょっと考える。「カッパ」を着て進もう、入ってきた若い二人と入れ替りに、出発する。雨の前進はつらい、次の東屋で休憩だ。「東屋」で休んでいると、山頂付近で出会った「年輩者」を含むグループがもう下ってきた。休む間もなく降りてきたのだろう、こういう人たちの方が山に強いようだ。林を抜け、砂利道の林道にでた。もう少し、もう少し、再び霧の立ちこめる変化のない砂利道は、”長く”感じる。
やっと、駐車場に着いた。「やった、やった、」「四阿山」へ登ったぞ・・・、「この山へ、あの山へ」と計画しても計画倒れすることが多い、そんな中やっと登った、「四阿山」もそんな山の一つだ。「四阿山」は「登ってみる」には”もっとも適当な山”だなと、思った。あまり無理をせず登れるし、初めての人でも「この山くらいは登れなければ」と思う。自分も「年配者」になっても、この山くらいは 「また、登りたいものである」。
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